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Der kommer en dag きっと、いい日が待っている

デンマーク映画 (2016)

1960年代末のデンマークの孤児院を描いた感動の名作。ハーライツ・カイシア・ヘルメン(Harald Kaiser Hermann)とエルボット・ウルベッキ・リンハート(Albert Rudbeck Lindhardt)が仲の良い兄弟を演じている。ハーライツは出演時10歳、エルボットは14歳であろう。孤児院のような隔絶された社会を描いた作品には、①東欧系では、ハンガリー映画『Torzók(捨てられて)』(2001)、マケドニア映画『Golemata voda(大きな水)』(2004)のように、救いがたい苦悩を描いたもの、②カトリック系では、カナダ映画『The Boys of St. Vincent(聖ヴィンセントの少年たち)』(1992)、アイルランド映画『Song for a Raggy Boy(不良少年に捧げる歌)』(2003)、メキシコ映画『Obediencia perfecta(完全なる服従)』(2014)のように児童虐待を描いたものに二分される。どちらも観ていて耐えられないが、この映画では、ハーライツ演じるエルマが、弱い立場を捨て、捨て身の行動に出て事態を打開する姿が描かれ、観ていてすがすがしい。映画は、実際に過去にあったGodhavn孤児院における数々の問題のうち、教師による暴力と、性的虐待を題材とし、前者の犠牲になるエルボット演じるエリックと、後者の犠牲になるエルマが、兄弟同士で庇い合って生き抜こうとする姿を克明に、しかし、直接的で陰惨な描写は極力控えて描いている。孤児院には、時折、視学官が訪れるが、事前に通告があり、院長は少年たちにきれいな服を着せ、少年たちの方も、後の仕返しが怖いので、何を聞かれても「院長好み」の返事しかしない。しかし、ある時を境に、担当者が変わり、抜き打ちで監査に訪れ、少年たちに「何でもいい、内緒で相談したいことがある人は、手を挙げなさい」と促すが、院長の見ている前で誰もそんなことはしない。しかし、この閉鎖的な雰囲気は、エルマの勇気ある(死ぬ気で行った)行為で、大きく変わる。映画の最後で、視学官が少年たちに同じ質問をした時、最初は1人、そして次々と手が上がる。最高に感動的なシーンだ。映画の題名は、この日の到来を希望的に述べたもので、仮題を「いつかきっと来る日」とした。「自由に発言できる日が」いつかきっと来る、という心を込めて。それにしても、最初、字幕抜きで映画を観た時は、エルマが望遠鏡を盗んで捕まるシーンから映画が始まるので、てっきり少年院に収監されたのかと思ってしまった。しかし、字幕を読みながらゆっくり観ると、普通の孤児院と分かりびっくりした〔兄弟のシングルマザーが末期癌で入院したため〕。人権や福祉の国として名高いデンマークの半世紀過去には こんなにひどいことがあったとは、と驚かされた。しかし、よく考えてみれば、この映画は1967~69年にかけての話だ。このサイトで初めの頃に紹介し、将来改訂が必要なデンマーク映画『Drømmen(我ら打ち勝たん)』(2006)は、奇しくも1969年のデンマークの片田舎で、権威を笠に着た校長と闘う少年の話だった。普通の小学校ですら、校長自ら、針で縫うようなケガを生徒にさせる。そして、それが表沙汰にならないよう、あらゆる汚い手を尽くす。そうであるなら、孤児院のように監視する肉親もいない場所では、どんなことでも起こりうる。エルマは、初めて孤児院に来た日の翌朝、院長に「大きくなったら、何になりたい?」と聞かれ、「宇宙飛行士」と答え、頬を張り飛ばされる。この孤児院では、そんな夢をもつことすら許されない。全員が、「良き労働者」になることしか視野にない。その日が赴任初日だった女性教師は、殴打に内心驚きを隠せない。院長は後で、「規律の必要性について、きちんと理解してもらいたい。今年から殴打が廃止されたことは知っていますな。だが、グッビャ〔孤児院の名前〕の使命は、コペンハーゲンの軽率な発想より、ずっと重要だ。少年たちは、誰も管理できなくなったから、ここにいる。どのグッビャの少年も、まともな労働者になれる。それを助けるのが 我々の義務。ビンタは、彼らが理解できる唯一の言語なのだ」。この凝り固まった発想のもと、グッビャでは少年に対して重い肉体労働が課せられ、激しい肉体的懲罰が日常茶飯事だった。この映画は、2017年のデンマーク・アカデミー賞で11部門でノミネートされ、作品賞など6部門を受賞した。残念なのは、まさに鬼のような院長役のLars Mikkelsenが助演男優賞を取ったこと。エルマの守護天使ともいえる女性教師役のSofie Gråbølの助演女優賞には納得だが。このDVDにはデンマーク語字幕しか入っていない。http://www.opensubtitles.orgで入手できる英語字幕は自動翻訳で役に立たない。今回は、オランダ語字幕(自動翻訳ではない)を主として利用し、デンマーク語の辞書を併用して訳したが、間違っている箇所があるかもしれないことをお断りしておく。このサイトで紹介した時の仮題は『いつかきっと来る日』。その後、日本でも公開されたが、最初の仮題の方が内容に即していると思う。

時系列的に簡単に述べよう。時は、1967年冬。エルマとエリックの兄弟は、父が自殺したこともあって、母と3人暮らし。母の給与は安いので、暮らしはぎりぎりだ。エルマの将来の夢は宇宙飛行士になること。だから、アメリカが進めているアポロ計画にも熱が入る。望遠鏡で空を眺めるのが最大の趣味だ。しかし、その望遠鏡が壊れてしまい、お小遣いもないことから、望遠鏡を盗み(エリックはCDとヌード雑誌を盗み)、ともに現行犯で捕まってしまう。その場は、厳重注意だけで済んだが、児童保護局は母親の管理能力に懸念を表明する。2人のために病をおして働いていた母だったが、肺癌が進行して倒れ入院してしまう。唯一の親戚の叔父は、経済的に自立できないと判断され、兄弟はグッビャ孤児院に送られる。しかし、60年代のデンマークの孤児院は、まるで少年院のような場所だった。ヘック院長を筆頭に、暴力で少年たちを支配するレッスンという教師と、幼児性愛者のアクスルという2人の教師に加え、何事にも無関心な専属医と秘書からなる小さな世界。頂点に立つ院長は、孤児院に来るような少年は家庭環境が劣悪で、読み書きすらまともにできない役立たずとしか考えておらず、厳しく躾けて労働者として世に送り出すことが使命と考えるような人間だった。唯一の救いは、そこに新任の国語の教師リリアンが赴任したこと。エルマは、最初の自己紹介で宇宙飛行士が夢と言ったためレッスンに叩かれ、それがもとで一部の不良少年から虐められ、エリックと共に脱走する。しかし、すぐに連れ戻され、拷問に近い激しい折檻を受ける。それが原因で、夜尿症になったエルマはさらにバカにされる。そんなエルマを救ったのは、国語の時間中に、その優れた能力がリリアンに認められたことで、学内の郵便係りに抜擢されたこと。夜尿症も治り順調に進み出したかに見えたエルマの生活は、ある夜、アクスルに強姦されたことで一変する。エルマはケガが治ってからも、また異常な行為を強いられるのではと恐れる。そんな状況を救ったのはエリックで、工具室の電気ノコギリの安全装置を切り、アクスルに大ケガを負わせてしまう。クリスマスが近付き、帰宅できる日を指折りに数えていた2人は、叔父からかかってきた電話に愕然とする。母の病状が悪化し、医者から見離されたと言われたのだ。それはちょうど夕食の席上。泣きやまないエリックに、院長は狂ったように激しい制裁を加える。数日して孤児院にやってきた叔父に、2人は助け出してくれと頼むが、無責任な叔父はその情報を孤児院に漏らし、2人は受けなくてもいい制裁を課せられる(リリアンは怒って辞職する)。映画では、描かれないが、そのしばらく後には、母の死と葬儀があったことは想像に難くない。映画は、1969年夏に進む。孤児院に新しく赴任した視学官ハートマンがやってくる。それまでのような馴れ合いではなく、抜き打ちの監査だ。しかし、少年たちの声に耳を貸そうとする視学官の試みは、目立たぬことが一番という教訓が染み付いた少年たちには通用しない。この監査の日は、ちょうどアポロ11号の月面着陸の日でもあった。TVを見ることを許されて世紀の瞬間に見入る少年たち。その筆頭はエルマだ。しかし、エリックは、15歳という「孤児院を出られる年」になっていたため、弟と一緒に出て行けるよう、院長のご機嫌を取ろうと、洗車を申し出る。きれいになった車を見て褒めてくれた院長に、エリックは孤児院を出た後のことを頼むが、院長は、お前は模範生だから18歳までここにいられるようにしてやったと恩着せがましく答える。この言葉にキレたエリックは、院長の車に傷を付け、激しい殴打の制裁の結果、意識不明の重態となる。院長は、入院が必須と言う専属医に対し、もし入院させれば不祥事になるので、孤児院からは出さない、死んだら神に召されたのであって、自分の責任ではないと言い放つ。この院長の話を、ベッドの下に隠れていて聞いたエルマは一大決心をする。院長の気に入りそうな目的を述べて、コペンハーゲンへの日帰りの許可をもらったのだ。エルマは、首都に出ると、リリアンに事情を打ち明け、児童福祉局へと赴く。しかし、頼みの視学官ハートマンは不在。対応した担当者は、エルマの話を信じようとしない。万策尽きたエルマは、最後の決断をする。自分が院長を激怒させて殺されれば、その死を知ったハートマンは、兄を入院させてくれるだろうと。エルマは、アルミ箔と紙で、憧れの宇宙飛行士の格好になり、院長の大事な車をハンマーで叩き壊す。院長は、児童保護局からの内通でエルマの意図に気付き、エルマに対するレッスンの激しい暴行を止めさせるが、エルマは初心貫徹のため、敷地内にある給水塔に登り、てっぺんから飛び降りる…

ハーライツ・カイシア・ヘルメンも、エルボット・ウルベッキ・リンハートも、賞こそ獲得できなかったが、見事な演技を見せる。特に、ハーライツは、様々な困難に遭い、少年とは思えない、思い切った行動に出るのだが、そうした複雑な状況を「自然」と感じさせるほど役に溶け込んでいる。2006年のデンマーク映画『Drømmen(我ら打ち勝たん)』で、イェーヌス・ディシン・ラスケは、校長に何度ぶたれても立ち上がることで勝利をつかんだが、ハーライツも、給水塔から死を覚悟で飛び降りたことで勝利を得た。デンマーク映画は、勇敢で前向きな少年を描くのが巧い。


あらすじ

映画は、まず1961年5月25日にケネディ大統領が上下院合同議会で行った発表の映像を流す。「まず私は、今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるという目標の達成に我が国民が取り組むべきと確信しています」(英語)。1961年4月12日のガガーリンによる史上初の有人宇宙飛行を受けて行った歴史的な挑戦だ。この映画の主人公エルマは、月面着陸の準備が着々と進行する1967年、宇宙飛行士になることが夢で、いつも望遠鏡で空を眺めるような少年の1人だった。「1967年秋」とのテロップが入ると、紅葉の中を走る1台の車が映される。中に乗っているのは、兄エリックと弟エルマ(1枚目の写真)。ここで、独白が入る。語り手は、トリュー。グッビャ孤児院で兄弟と一番親しくなる少年だ。「グッビャへの旅は タイム・マシンのようなものだ。近付くにつれ、どんどんと過去へと戻っていく」。2人が孤児院に着いた頃には、辺りはもう暗い。「独特の臭い。そして、院長室に潜む 沈黙と影」。映画を最初に観ると、トリューなる人物はまだ存在しないので、この独白が何を意味するのかが分かりにくい。兄弟のどちらかの「回想」だと思ってしまうが、実は、兄弟が来るまでにグッビャの苛酷さに苦しめられてきたトリュー、兄弟と親しくなってから2人のことをずっと見てきたトリュー、エルマが達成したことに感銘したトリューが、振り返って兄弟の軌跡を語っているのだ。だから、最初のコメントは、兄弟が最初にやってきた日に思いをはせながら、自分自身の回想を述べている。中に入って行った2人。1人の教師が、「これを着ろ、エリック・ヨハンスン。お前は47番だ」と言って、パジャマのスボンを示す。「エルマ、お前は30番だ。服を脱げ」(2枚目の写真)。そして、ベッドがずらりと並んだ部屋に連れていかれる。もう消灯の時間が過ぎているので、中は真っ暗だ。「さあ、寝ろ。口はきくな。分かったか?」(3枚目の写真)。教師が出て行き、1人の少年が顔を起こして2人の方を黙って見る。トリューだ。「エルマは、ここよりひどい所だってあるんだと思ってた、と言っていた。しかし、それは彼がグッビャの実態を知るまでのことだった」。
  
  
  

映画は、予告なく、1ヶ月ほど前に戻る。大きな紙箱を抱えて街中をエルマが走っている(1枚目の写真)。後を追うエリック。そして、その後から男が追いかけ、「捕まえてくれ!」と叫んでいる。明らかに、エルマが店で何か大きなものを盗み、店員に窃盗の現行犯で追われているのだ。途中で、エリックが、「捨てるんだ」と箱を奪おうとするが、エルマは「嫌だ」と放さない。2人は路地から路地に抜けるが、店員は執拗に追ってくる。高額商品だからだろう。袋小路に入り込み、エリックが壁に上ってエルマを引き揚げる。そして、反対側に飛び降り、箱を受け取り、エルマに「ジャンプしろ」と言うが、エルマは怖くて体がすくみ身動きでない(2枚目の写真)。店員に後ろから足をつかまれ、捕まってしまう。次のシーン。兄弟の母が、呼び出しを受けてコペンハーゲン児童保護局の建物に入って行く。担当者は、盗ったものを机の上に並べていく。最初はCD3枚、次にSFコミック。母は「申し訳ありません。よく言ってきかせます」。次に、女性のヌード雑誌を何冊も置く。思わず顔を伏せるエリック。母が「悪いことですが、安価なものですし、自由に見られるもの…」と、とりなし始めると、担当者は大きな紙箱をドンと置く。箱には望遠鏡と書いてある。「保護局としては、もはや、お話をそのまま信じるわけにはいきません。学校もサボっているようですし」。母は、「ずっと病気でしたが、良くなってきています」と弁解に努めるが、「どうやって? 母子家庭で、生活費も払えてない」と経済状況を指摘され、さらに、「次回、あなたに対処できない事態が起きれば、保護局が介入します。意味は分かりますね?」と念を押される〔2人を孤児院へ入れるという意味〕。母は、帰り道で、2人に「これから一切 外出禁止。毎日学校へ行きなさい」と命じる。アパートに戻ったエルマは、自分のせいでこんな事態を招いたのに、「僕の望遠鏡、壊れてる。今夜のロケット見たいんだ」と言い出し、母に「宿題が済んだら、すぐ寝なさい」と言われ、「約束したじゃないか」と反論する。エリックに「お前のせいじゃないか、とんま」と叱られ(3枚目の写真)、「とんまって言うな」と怒るが、その間にも母は咳き込み、手のひらには血が〔進行した肺癌〕
  
  
  

2人の兄弟にとって、最後の楽しいひと時。しかし、トリューの独白は暗い。「兄弟の父親は、数年前、地下のコークス庫で首を吊って自殺した。だから、2人には母親しかいなかった」。それでも、電気掃除機のホースを付けヘルメットを被り、宇宙飛行士のつもりになったエルマを、エリックが吊り上げ、宇宙遊泳をしている気分にさせてやる(1枚目の写真)。それを見て喜ぶ母親。「エルマは内反足〔足全体が内向きになる先天性異常〕だった。彼にとって、いつか月面に立てる日があれば、それはいい解決法だった」「僕は彼らの母に会ったことはない。しかし、彼らの笑顔を通してイメージできる」。ここで、母が心から笑う唯一のシーンが見られる。「月への旅は困難に違いない」の独白の直後、エルマを吊っていたロープが切れ、彼は舗道に叩き付けられた。「ひたすら 信じるしかない」。痛みに耐え、ホースをくわえて宇宙飛行士ごっこをやめようとしないエルマ。子供部屋で、あちこちテープで修理した望遠鏡を覗いて満月を見ながら、エルマは「クレーターの真ん中には着陸しないんだ」と兄に説明する(2枚目の写真)。「思ってるより広いんだ。月に行けば、何だってできる」。「お前は、宇宙飛行士にはなれないぞ。内反足じゃ不可能だ。宇宙服がないだろ」。そこに、咳をしながら、母が入ってくる。「仕事に出かけるから、もう寝なさい」。重病なのに夜間勤務とは、3人が生きていくために、母は苛酷な生活を強いられている。ベッドに横になったエルマに、母は、「さあ、ちゃんと寝るのよ、そしたら、新聞でロケットのこと一緒に読みましょうね」と語りかける(3枚目の写真)。エリックには、「朝、会いましょう。何かあったら、叔父さんに電話しなさい」と言い残す。
  
  
  

その夜、彼らの母は、工場に行き着けなかった。アパートの自転車置き場で気分が悪くなり、アパートまで這って戻ったのだ。病状が悪化したのだ。叔父は2人に “cancer” だと告げた〔デンマーク語でも “cancer” は癌を意味する〕。病室の前で、エリックは、看護婦に「会えますか?」と尋ねるが、「今は、ダメよ」と言われてしまう(1枚目の写真)。「会いたいよ」。「少し待ってなさい」。「なぜ会えないの?」。「エルマの持っている本では、“cancer” は、北半球の星座だからだ」(2枚目の写真)。これは、2人にとって、母の病気は、“cancer”=“カニ座” でしかなかったことを意味する〔デンマークでは、黄道十二星座を図で示す場合、ラテン語標記の “cancer” が使われる〕。児童保護局の担当者が叔父と話し合っている。担当者は、「あなたは、住所不定です。最後の収入は3ヶ月前でしたね」。これは、叔父には2人の扶養能力はないという宣告だ。別れる前、母の病室を訪れた2人。母は、「2人とも、大人になってね。お互いに助け合うのよ。そして、行儀良くして、言われた通りになさい。約束よ」(3枚目の写真)。以後、2人は、もう二度と、生きた母に会うことはなかった。役立たずの叔父に見送られ、車に乗せられてグッビャへと向かう兄弟。ここから先は、映画の冒頭のシーンへとつながる。
  
  
  

2人がグッビャに着いた明くる日、寝室に入って来た教師レッスンが、「起きろ! 10分で朝食だ」と号令をかける。一斉に起きる少年たち。エリックとエルマは、その光景を珍しそうに見ている(1枚目の写真)。食堂に集合した少年たちは、決まった席の前に立ち、うつむいている。エリックとエルマは、席を指定され、レッスンが一番前の席に立つと(2枚目の写真)、「食べろ!」の命令とともに、全員が一斉に座って食べ始める。食べ物は、オートミールとミルクだけ。オートミールの皿に給仕係がガラス瓶から何かを少しずつ注いでいくが、肝油だろうか? エリックはエルマの隣に座っている少年〔彼こそ、トリュー〕に、「僕、エリック。これは僕の弟の…」と言いかけるが(3枚目の写真)、トリューに「食べろ、すぐ奴が来る」と制止される。その頃、「奴」こと 院長のヒックは、新任教師のリリアンを食堂へと案内していた。「我々の施設は国内随一だ。そして、自給自足体制に誇りを持っている。少年たちは、学業に加え、敷地内、厨房、工房で作業を手伝っている」と説明する。
  
  
  

院長は、食堂の入口まで来ると、「お早う諸君」と大声で言う。少年たちは全員立ち上がり、直立不動の姿勢で「お早うございます、ヒック院長」と斉唱する。院長はリリアン先生を紹介した後、「ほとんどの少年は、初等教育レベルだ。奇跡は要求しない。彼らに期待するのは、道路標識が読め、作業マニュアルや、簡単なテキストを読めることだ」と言った後、教室に案内しようとするが、「新入りには何をさせましょう」と寄って来た教師レッスンに、「何ができるかによる。どこにいる?」と訊く。レッスンはエリックとエルマの前に行くと、「立て。院長先生がお話になる」と命じる。「お早う。君たちの名前は?」。「エリック」。「エルマ」。「エルマ、大きくなったら、何になりたい?」。嬉しそうに「宇宙飛行士です」とエルマは答える(1枚目の写真)。少年たちから笑い声が上がり、同時に、レッスンがエルマの頬を引っぱたく(2枚目の写真)。「真っ直ぐ立たんか。生意気はためにならんぞ」。エルマは、頬を押さえながら、なぜ叩かれたのか、宇宙飛行士になる夢がなぜ「生意気」なのか分からず戸惑う。院長は、「初めは、野外で石を土手まで運ばせることにしよう」とレッスンに言う。それを聞いたエリックは、「弟には できません。エルマは内反足なので、重い物を運ぶと痛むんです」と訴える(3枚目の写真)。院長はエリックを見てニヤリとすると、「お前たちは、野外作業だ。それで、エルマが男かどうか分かるだろう」。この男には「内反足」が何たるかが、全く分かっていない。自分の命令だけが第一なのだ。院長が去ると、レッスンがすかさず強烈な一発をエリックにお見舞いし(4枚目の写真)、「これからは、院長から訊かれた時だけ話せ」と命じる。このシーンで、この孤児院の非人間的な性格がストレートに理解できる。観ていて腹立たしいが、実に洗練された脚本だ。この後、教室にリリアンを案内した院長が、先ほど見せた体罰に対し語るのが、解説で引用した「規律の必要性について、きちんと理解してもらいたい。今年から、殴打が廃止されたことは知ってますな? だが、グッビャの使命は、コペンハーゲンの軽率な発想より、ずっと重要だ。少年たちは、誰も管理できなくなったから、ここにいる。どのグッビャの少年も、まともな労働者になれる。それを助けるのが 我々の義務。ビンタは、彼らが理解できる唯一の言語なのだ」という言葉だ。
  
  
  
  

早速、その日の午前中、兄弟は屋外で重い石を運ぶ作業に従事させられる。給仕係が簡単な昼食を持ってくるが、1つの箱に入っているため、争奪戦の結果、慣れてない兄弟に残されたものは、残りカスだけだった。トリューは、2人に「1・2週間で良くなるさ。『まめ』は『たこ』になるし、ランチのベルが聞こえたら走ればいい」と助言する。エルマは、「僕たち、クリスマスまでここにいるだけなんだ」と言うが、トリューは「僕も、2年前にそう言われた」と言い、さらに、「僕はトリュー、彼らがトパーとホル」と紹介する(1枚目の写真)。
  この3人が、最後まで、兄弟の友達になってくれる。トリューは、「ここで うまくやりたけりゃ、幽霊になるんだ。幽霊には、誰も注意を払わない。それに、そうしてりゃ、いつか出院証(evighedsseddel)がもらえる」〔左の写真は、実際に1964年8月31日にGodhavn孤児院で出された出院証/コペンハーゲン国立博物館〕。エリック:「出院証って?」。「ここを おさらばできる紙さ。いくら遅くても15歳だな。それまでは目立たないようにするのが大事なんだ」。その時、年上の少年たちがやってきて、「何を 寄こす?」と、兄弟を取り囲む。「お前と、かたわの分だ。タバコ5本と ジャム・サンドだ」。エルマが「かたわ」じゃないと怒ると、頬をぶたれ、「大人がしゃべってる時は、黙ってろ」と言われる。それに対し、「やい!」と反論しかけたエリックは袋叩きに会う。「何も、持ってないな」と言ったボスは、エルマに「宇宙飛行士だというなら、ロケットに登ってみろ」と命じる(2枚目の写真)。ロケットとは、背の高い給水塔のこと。てっぺんにあるタンクまで延びたハシゴを強制的に登らされる。しかし、エルマは、最初に望遠鏡を盗んで逃げた時も、2メートルくらいの高さから怖くて飛び降りられなかったほどの高所恐怖症。途中で足がすくんで登れなくなる。不良少年たちは、「かたわは、高いトコが怖いんだ! 宇宙飛行士なら 怖がらないぞ!」と罵って石をぶつける(3枚目の写真、矢印は背中に当たった石)。
  
  
  

兄弟は、その日のうちに逃走した。ショックがあまりにも大きかったのだ」(1枚目の写真)。そして、夕方になって、道路を走ってきたバンをヒッチハイクする。「逃走したら、これだけは忘れてはいけない… グッビャの少年を助ける者などいない」。バンは孤児院に直行し、兄弟は、バンから引きずり降ろされる。エリックは、「これ、僕の考えです。弟は無関係です」と庇った上で、「家に帰りたかっただけです」と正々堂々と話す。院長は、「ここが お前達の家だ。お前達の面倒など見る者、誰も いないだろ。もちろん、理解できんかもしれん。だが、お前達は捨てられたんだ。ここグッビャで、お前達は共同体の一員になる」と諭すように言う。それに対しエリックは、「もう うんざりだ〔Jeg er pisseligeglad〕。やめてくれ」と乱暴に反論。院長は、この不従順さにカッときて、「こうなれば、全く違う方法で『理解』させるしかない」と静かにエリックに語りかけると、今度は、その場に整列させられていた少年たち全員に向かって、「お前達がどうなるか、教えてやる。石運びだ。一晩中だぞ!」。少年たちから、不満の声が上がる。「だが、他の案があれば別だが」。この巧妙な誘いに、日中、兄弟を虐めたボスが、「グッビャ式一発〔Gudbjergs spank〕!」と声を上げ、その声は拡がっていく。少年たちの「総意」を踏まえ、院長は、「ここグッビャで、お前達は共同体の一員だ。共同体を無視するようなら、罰されねばならん」。そう言うと、陰惨な懲罰が始まった。エリックとエルマは、それぞれ、2人の少年に両側から腕を固定され、その他の少年が、順番に顔を殴っていく。2人の前には、2列に分かれた長い列が延びている(2枚目の写真、矢印は痛さで体を折っているエリック)。この罰のずるいところは、少年たちの発案により少年たちが実行している点。院長は命令もしていないし、部下の教師も手を下していない。しかし、2人の顔は血まみれになっていく(3枚目の写真)。この映画は、解説でも述べたように、直接的な暴力シーンは極力排しているが、ここだけは100%の残酷さで見せる。2人は、その後、医務室でリリアン先生の手当てを受ける〔リリアンは医務室助手を兼務〕。「ヨードチンキと絆創膏が終わったら、何か着る物を探してくるわ」(4枚目の写真)「逃げ出すのは悪いことよ。規則は守らないと。言いつけを守り、嘘や盗みもなし。言われたことは聞く。そうしていれば、必ずいいことがあるわ」。その夜、全員が寝入った後で、エリックが「トリューが言ったようにしよう。幽霊になるんだ。そうすれば無視される」。しかし、エルマは「幽霊になんかイヤだ。宇宙飛行士になりたい」と言って毛布にもぐる。ここに2人の大きな違いがある。
  
  
  
  

次の週に入り、野外での重労働でエルマの内反足は傷だらけになってしまう。エリックは、ゴミ箱で見つけたチョコレートのかけらを、「きれいだから食べろ」と渡してやる。一口かじったエルマは、それをトリューたち3人に渡す。エリック:「何のつもりだ?」。エルマ:「宇宙飛行士の 分かち合い。何かを成し遂げるには、1人じゃできない」。トリュー:「どこでそんなこと知ったんだ?」。「彼らは、1匹の犬から始め、それから3匹の猿を使ったんだ。それが、もうすぐ月へ人間を送るとこまで来てる」。トパー:「犬と猿はどうなったんだ?」。「死んだよ。だけど宇宙で死んだんだ。そこじゃ月や星が見える。決して無駄死にじゃない。いつか、自由に宇宙に行けるような時代が来るんだ」。この会話は、映画のこの段階では、エルマの宇宙好きを示しているだけのように見える。しかし、映画を最後まで観ると、「1匹の犬」はエルマを、「3匹の猿」はトリューたち3人を意味するようにも思える〔詳しくは、後述〕。その夜、寝室の隣で監視役をしている教師アクスルが、小さな少年を1人連れていった。少年は泣いている。エルマ:「何なの?」。エリック:「関係ない。眠れ」。次の朝、いつも通り、教師のレッスンが寝室のドアを開け、「起きろ! 10分で朝食だ」と号令をかける。いつもと違ったのは、エルマがおねしょをしてしまったこと。それを見つけたレッスンは(1枚目の写真)、「新しいおねしょ坊主だ」と大きな声で宣言する。少年たちから「ブー〔Øv〕! ブー!」と、軽蔑の声があがる。エルマは、パンツ1枚だけの裸で中庭に立ち、おねしょをしたシーツを両手で掲げて持たされる(2枚目の写真、矢印の黄色の部分がおねしょ)。窓から、少年たちが見て、「クソちび!」「サイテーだ!」のヤジが飛ぶ。レッスンは、「ちゃんと腕を伸ばせ。乾くまで立ってろ」と命じる。晩秋の寒風の中で、全裸に近い姿で立たされたエルマはガタガタと震えている(3枚目の写真)。孤児院の専属医は薬を処方するが、夜尿症は治らず、裸で立たされる毎日が続く。
  
  
  

リリアン先生のデンマーク語の授業。黒板に「Fællesskab(共同体)」という字を書き、トパーに読ませようとするが、全く読めない。その時、疲れて眠っているエルマに気付き、机を叩いて起こす。机の上に置かれたノートには何も書かれていない。先生は、エルマの授業態度に失望するが、ノートの下に隠してあった別の薄いノートに気付いて取り出す。「何なの?」。「僕が書いたものです」。「自分で書いたんじゃないでしょ? 正しく振舞いなさい。嘘はダメ。盗みも。これ、どこで取ってきたの?」(1枚目の写真)。返事がないので、「そう、じゃあ読みなさい」と命じる。エルマは仕方なく読み始める。「エルマの航空日誌。23日目。訓練は巧くいってる。月に行くと、船酔いになるかもって書いてあった。だったら、僕のおねしょの薬で練習するといい。くらくらするから」。少年たちが笑うが、先生は制止する。「もうぶたれても 痛くなくなった。だけど、僕の宇宙服が恋しいよ。ここにあったらいいのに。君なら、足が地面を離れると、浮き上がるだろ。幽霊だって浮けるけど、僕は幽霊には なりたくないんだ」。先生は、ノートに書かれたきれいな字と、文章力、さらに、ちゃんと読めることに感服した。「先生に注目されたことは、エルマにとって幸運だった」。そして、エルマが町の郵便局から、孤児院宛ての郵便物の袋を 荷台付き自転車に積み込む様子が映る。「先生は、エルマが上手に読めるので、薬の服用を止めさせ、郵便ボーイとして使うことにした」(2枚目の写真)「エルマは、おねしょをしなくなった」。先生の部屋まで郵便物を運び込んだエルマは、先生が郵便物を振り分けている間、声をあげて新聞を読んで待っている。記事は、どうしても宇宙の話に偏ってしまう。記事に、アポロ5号の打上げが1ヶ月遅れると書いてある。アポロ5号は、アポロ月着陸船の初めての無人飛行試験で、実際の打上げは1968年1月22日。映画は1967年12月なので、ぴったり合っている。話題は、クリスマス・プレゼントから、子供の話となり、リリアン先生には子供がいないことが分かる。分類が終わると、先生は、「じゃあ、手紙を配達していらっしゃい。最初に先生、子供たちは最後よ」と念を押す。そして、エルマが部屋から出ていきかけると、「一番上に乗ってる手紙、見た方がいいかもよ」と声をかける。それは母からの手紙だった。エルマの満面の笑み(3枚目の写真)。
  
  
  

エルマが母からの手紙を読んでいる。「大好きな、エルマとエリック。ママは、まだ入院していて、眠ってばかりいます。治療は直に終わります。気分が良くなりました。今日、叔父さんと会いました。望遠鏡は直っていました。お医者様の話では、クリスマスには家に戻れそうです。早く 会いたいわ」。エリックは、「エルマ、読むの、もう3度目だぞ」とあきれている。「あと、何日?」。「17日だ」〔2人は、クリスマスには帰宅できると思い込んだ〕。エリックは、そばで床掃除をしているトリューに、「クリスマスにはどうするんだ?」と訊く。「毎年同じさ」。そして、父親から来たばかりの手紙を渡す。エルマが読む。「やあ、坊主、もうすぐクリスマスだな。今年も、会社の命令で、海外出張が入ってしまった。これが最後だって誓うよ。プレゼントは送るから。元気でな。父より」。トリューは、「親爺は、クリスマスには、強盗に出かけてなきゃ、ぐてんぐてんに酔っ払ってるんだ」。手紙の内容とはかなり異なる実態だ。トリューは、まだ手紙を読んでなかったので、「妹について、何か書いてないか?」とエルマに訊く。何も書いてないので、「時間がなかったんだ」と答えると、トリューは自嘲気味に「気にも留めなかったのさ」と言う。それを聞いて、エルマは、「待って、何か書いてある」と言う。「追伸 妹は元気だ。今朝、夢の話をしてくれた」。「たわごとは止めろ」。「私たちは、アポロ5号に乗って宇宙を飛んでいたそうだ。辺り一面星だらけだったとか。そして、見知らぬ星に着陸した」。「止めろ。手紙を返せ」。「お前と妹は、ゴムのボールのように飛び跳ねてた。流れ星を捉まえると、手の中でブンブン唸ってた。お陰で、その光を頼りに、ロケットに戻ることができた」(1枚目の写真)「妹はくたびれてしまった。だから お前は、戻る間中、妹を肩に担いでやった。妹は、笑って お前の髪の毛で遊んでいたそうだ。私たちは、お前に会いたい。特に、妹が会いたがっている。愛を込めて、父より」。途中で、エルマの好きな宇宙の話が入るが、最後は、兄と妹の仲の良い関係に帰着させた心温まる創作だ。これには、トリューも感じ入った。トパーは、「僕のも 読んでくれる?」と、自分に来た手紙をエルマに渡す(2枚目の写真)。「エルマのすごい才能は、すぐに知れ渡った」。宇宙の話は入るけれど、即席で作る話は、グッビャの閉鎖的な空間を忘れさせてくれる何かがあった。エルマに読んでもらおうと、列が出来るほどだった(3枚目の写真)。「初めて、より大きな何かの一部だと感じた。グッビャの外の何か。忘れてはならない何かの。忘れてはいけなく、幽霊より ずっとマシなものだ」。
  
  
  

その夜。寝室のドアが開くと、教師のアクスルがそっと中に入ってくる。そして、エルマのベッドまで行き、呼びかける。いち早く、エリックとトリューがそれに気付く。「エルマ、起きるんだ。さあ」。ぐっすり寝ているので、なかなか起きない。エリックは体を起こすと、「待って。僕、行きます」と、弟を守ろうとする。アクスルは、エリックなどお呼びではないので、「何、考えてる」と言って、頬を2度引っぱたき(1枚目の写真)、「このチビ助め、寝てろ、くそったれ!」と、小声で怒鳴ると、目を覚ましたエルマを「おいで」と連れて行く。「私のために 何か読んでおくれ」。隣の自分の部屋にエルマを連れ込んだアクスルは、ドアに鍵をかけると、「お前が好きだ。本気だ。だが、もし、言う通りにしないと、兄さんが痛い目に遭うぞ」(2枚目の写真)と脅す。エルマは部屋から逃げ出そうとするが、鍵がかかっているのでドアは開かない。この場面では、途中経過は一切省かれている。次のシーンでは、洗い物で音がするので、エリックがそっと近付いていくと、エルマが手を洗い、その後、足についた血を何とか擦って取ろうとしている。暗くて分かりにくいが、写真を増感させると、パンツがお尻から足ぐりにかけて血に染まっているのが分かる(3枚目の写真)。エルマは、エリックが見ているのに気付くと、「行けよ!」と怒鳴り、そのまま気を失って倒れる(4枚目の写真)。顔にも血が付いているが、殴られたのだろうか? 下半身の方は、言うまでもないだろう。この映画の中で、最も陰湿な箇所だ。
  
  
  
  

エルマの傷害事件を受けて急きょ開かれたスタッフ会議。そこで、最初に口を開いたのは、何とアクスル本人。「私が、洗い場で郵便ボーイを見つけました。恐ろしい光景でした。少年たちが応急処置をしていましたが、何が起きたかは知りません」。リリアン先生が「解明しませんと。彼は暴行を受け、辱められたんです」と危機感を訴えるが、専属医は「こんなことは時々ありますよ。育ちの悪い連中がいて、貧困の中で何でもしてきましたから」と当たり前のように話す。校長に至っては「自ら進んで やらせたのかもしれない」と発言。「兄に、問題があったのでは?」。専属医は「あり得る話です」と追従。リリアン先生は「あの子自身の過失だと?」と、校長の発言に強く反撥。それも、アクスル本人の「彼は何も言いません。その可能性は十分に」で再び否定。リリアン先生が「私が病院に連れて行きます」と言っても、専属医は「私が診ました。そんなにひどくありません。また健康になりますよ」と否定される。院長は「こんなことは二度と起こしてはならん。レッスン、君は少年たちへの監視を強めろ」と命じる(1枚目の写真)。エルマが口を閉ざしていることから、議論はここで打ち切られる。病院に連れて行かない最大の理由は、当然、醜聞が漏れれるのを防ぐため。回復したエルマに、リリアン先生は、「何が起きたか話してくれることが重要なの。話してくれないと、助けてあげられない」と説得する(2枚目の写真)。さらに、「こんなことをした人間は、罰せられるべきなの」。エルマは一言も口をきかない。一緒にいた兄が、「終わった、じゃあ行くぞ」とエルマに声をかけると、エルマは出て行こうとする。先生はそれを引き止め、「エルマ、聞いてちょうだい。もし、やったが罰せられなかったら、またくり返すわ。分かる? 誰がやったか話すのは義務なのよ」と訴えるように話す(3枚目の写真)。その話を遮るようにエリックが、「子供がやったんじゃない」と言って、先生を睨みつける。しかし、犯人がアクスルだとは言わない。エルマが黙っているのは兄を守るためだが、エリックが黙っているのは、波風を立てずにいて早く孤児院を出たいからだ。
  
  
  

視学官の視察の日。ずっと前から通達が入っている。だから、これは「馴れ合い」だ。「年次監査の日には、エルマはほとんど正常に戻っていた。オスカーソンさん〔秘書〕が傷跡をごまかした」「この日のために、僕たちはよそ行きの服を着た。もっとも、何を着ていようと、視学官にはどうでもよかったが」。一張羅を着、髪をきちんと梳(と)かし、整列して視学官を迎える少年たち(1枚目の写真)。院長は、視学官に暖かい室内での昼食を勧める。視学官は、少年たちの方など見もせずに建物に入って行く。昼食後、視学官が工房にやってきて、エリックに質問する。「ここは気に入ってるかな?」。「はい、とても楽しいです」(2枚目の写真)。「それは良かった」。あと数日で出られるのに、院長の機嫌を損ねる必要がどこにある?〔母からの手紙には『クリスマスには家に戻れそうです』とあった〕。エリックの嘘も責められない。同じ部屋で、電動のこぎりで板を切っていたアクスルが、エルマが両手に物を持って部屋から出て行こうするのを見て、「手伝ってやる、エルマ」と一緒に出て行く。そして、アクスルは紙袋から黒い性具を出し、エルマに「ご覧」と言ってを見せ、「君にあげよう」と渡す(3枚目の写真、矢印の先は使途不明の性具)。エルマが素直に受け取ると、アクスルは「覚えておくんだ。これは2人だけの秘密だよ。知ってるかい、君は すごく特別な子なんだ」と言い、頬を撫ぜる。あんなことがあったのに、まだエルマにちょっかいを出す気なのだ。それを見ていたエリックは、誰にも内緒で、電動ノコギリの安全装置を切っておく。アクスルが次にスイッチを入れた時、ノコギリは暴走してアクスルの手を切り刻む(4枚目の写真)。これで、エルマはアクスルの魔の手から永久に救われた。事故は、アクスルのミスか、機械の故障ということで落着し、エリックは疑われずに済む。視学官は、「今日はありがとう。みなさん全員にメリー・クリスマス」と言って帰っていく。
  
  
  
  

視察の日の夜、夕食の席で。オスカーソンが、アクスルの負傷について、「先ほど病院と話しました。入院期間は分からないそうです。手が助かるかどうかも」と院長に報告する。何も答えずに黙々と食べる院長。その時、遠くの方で電話が鳴り出す。誰も動かないので、院長は、「静かに食べたいと言わなかったか?」と催促。オスカーソンは、電話を取りに行く。その隙に、エリックは、「睾丸じゃなく手だったのは残念だったな」と言い、トリューとエルマを笑わせる(1枚目の写真)。「静かにせんか」。そこにオスカーソンが戻って来て、エリックを指差す。院長が頷いて許可を与えたので、オスカーソンは「エリック、ついてきなさい、電話ですよ」と話しかける。電話は叔父からだった。叔父の声が変なので、「母さん、大丈夫?」と訊く。「医者には救えなかった。試みたが、うまくいかなかった」。それを聞いて、母が死んだと誤解するエリック。「エリック、聞こえてるのか? 何か言えよ」。エリックは何も言わない(2枚目の写真)。エリックは、叔父からそれ以上何も訊かずに電話を置くと、泣きながら席に戻る。兄の異変に気付いたエルマが、「どうしたの、エリック?」と訊くと(3枚目の写真)、すかさず、レッスンが「静かに」と注意する。「叔父さんだった」。「しーっ!」。「母さんが…」。「黙って、食べるんだ」。涙の止らないエリックは、遂に、「間違いだ〔Det passer ikke〕!」と大声で叫ぶ。「静かに」。「間違いだ!」。そんな兄をドンドンと叩くエルマ(4枚目の写真)。エルマも、母に何かあったと気付いたのだ。エリックは、エルマから逃れるように、席から立って「間違いだ!」と叫ぶ。「座って、食べろ!」。
  
  
  
  

この怒鳴り合いに、院長がキレた。つかつかとエリックに寄っていくと、2人の頬を叩く。次に、エルマをつかんで席に押し込むと、エリックをもう一度叩いて席に座らせ、「皿に残っとる! 食べんか!」と怒鳴る(1枚目の写真)。この場面で助演賞をもらったのかと思えるほど、鬼のような表情だ。それでも、エリックは泣き止まない。院長はテーブルを叩き、「食え、このクソガキ!」と怒鳴る。そして、力一杯頬を張り飛ばすと、首をつかんで顔を皿に押し付け(2枚目の写真)、「食えー!!」と叫ぶ。こうなると、もう狂気としか言いようがない。それでも泣き続ける2人(3枚目の写真)。リリアン先生は、見るに見かねて立ち上がると、エルマの手とエリックの腕に手を置き、静かになだめるのだった(4枚目の写真)。エリックが、これほど取り乱すのは、母を失うこと自体への悲しさに加え、このままずっと孤児院に留め置かれることへの絶望感もあったのであろう。寝室で、みなが寝静まった後、エルマは、「母さんは、いまどこ?」と訊く。「知らない」。「でも、どこかにいるはずだ。消えたりはしない」。「天国じゃないかな。もしそうなら、安心だ」。
  
  
  
  

数日後(?)、突然叔父が訪れてくる。孤児院の中庭にバンで乗りつけた叔父に対して、リリアン先生が何事かと尋ねにくる。「私は、ここにいるはずの2人の兄弟の叔父です」。いち早く叔父の姿を見つけた2人が、「叔父さん!」と飛び付く(1枚目の写真)。親族が来たということで、雑用免除となった2人は、誰もいなくなった寝室で叔父と話す。「君らのママは医者から何か薬をもらって、静かに寝てるんだ」(2枚目の写真)。「それが、ママにとって一番いいそうだ」(3枚目の写真)。エリックは、「僕らは、家に帰れないの?」と訊く。「俺たちは、一緒に住むべきだ。アパートを引き継げるんじゃないかな」。「いつ?」。「分からん。君らのママは、俺が面倒を見るべきだって書いてきた」。「いつ、って訊いたんだ」。「数ヶ月… 半年以内だ。エリック、そう急くな、官僚主義のせいだ。院長は、君らはここにいる方がいいって書いて寄こした。大騒ぎを起こしたそうじゃないか。新しい友達だってできたんだろ」。「今すぐここから出たいんだ! 助けてくれないんなら、自分たちでやる」。「もちろん助けるとも。どうすればいい?」。「2人は、その夜逃げ出すつもりだった。叔父の行為は違法だったが、手を貸すことに同意した」。叔父は、その後で、院長室に呼ばれる。「彼らには日課が大切です。不意の訪問は好ましくありませんな」。「彼ら、すごく悩んでました」。「母親が死にそうだからですよ」。「なら、家に帰してやるべきでは?」。「失礼。だが、家って、どんな? あなたに2人の面倒が見れるとでも?」。「あんたに関係ないだろ」。「あなたのお仕事は、大学の学生自治会関係だそうですね」〔叔父が経済的に自立できないことの指摘〕。さらに、「子供たちは喧嘩だってします。彼らが面倒を起こしたり、嘘をついたり、盗んだりすれば管理責任も問われます」〔子育ての困難さを強調した指摘〕。最後に、「一日中、縛り付けておく気ですかな? 今は、一番大切な時期ですぞ。可哀想じゃないですか」〔孤児院こそ少年の救いの場であるとの指摘〕。こう院長に脅された叔父は、すごすごと引き返す。「もし、2人の叔父にその気があれば、その場で連れ帰ることもできた。しかし、夜まで待つというのが2人の考えだった。そうすれば、叔父が待っていて、安全なところに匿ってくれるはずだった」。
  
  
  

夕方になると、リリアン先生はエルマを自分の部屋に呼び、元気付けようと『2001年宇宙の旅』のテーマ曲(リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』)の初めの部分を聞かせ、「ここに置いてあることが分かったのだから、聴きたければ、いつでも」と言ってくれる。そして、帰り際、「いい子でいれば、必ずいいことがあるわ。時間はかかっても、叔父さんはきっと全力を尽くしてくれる。だから、信じて待ちなさい」と優しく語りかける。その時、電話が入り、エルマは出て行く。電話は叔父からだった。子供たちを呼んでくるという先生を押し留め、叔父は、「あなたと話したい」と言う(1枚目の写真)。「どうぞ」。「僕は、2人が好きです。想像力が とても豊かです。特にエルマは。だから、2人が話したことが正しいのか僕には分かりません。彼らに伝えていただきたい… 悪かった。約束は守れない、と」。「どういう意味です? 2人と何を約束したんです?」。無責任な叔父は、結果も考えず、今夜、2人が逃げ出したら、バンに乗せてコペンハーゲンまで連れて行くことになっていたと話してしまう。リリアンは、さっそく2人に伝えようとするが、途中で院長に会ってしまう。「寝室は消灯した」。「エリックとエルマに伝言があります」。「消灯した」。「重要な話です」。「伝言が、明日の朝まで待てないほど重要なら、私に話す義務がある」。「怒らないで下さい。2人に罪はありません。母親が亡くなりかけていますから」。「彼らの状況は掌握している。だから怒りはしない。私はいつも子供たちのために行動している」。その夜、兄弟は寝室の床の点検口を開け、床下から外に抜け出し、孤児院の正門に向かって走る。そこには叔父が待っているはずだった。しかし待ち構えていたのは、院長とレッスンだった(2枚目の写真)。2人は中に戻され、院長とレッスンから制裁を受ける。音を聞きつけたリリアンが入ってきて、「怒らない」という約束が全く果たされていない惨状を見る。院長は制裁を止め、先生に「明日、医者が治療する」とだけ言う。エリックは、院長に向かって、「僕らをいつまでも閉じ込めておけないぞ。叔父さんが連れ帰ってくれたら、警察に何もかも話してやる」と言う。もう捨て鉢だ。しかし、院長は平然と、「お前の叔父さんは引き取りたくないそうだ。お前たちが逃げることも教えてくれた」と言い放つ。信じられないという顔で院長を見るエリック(3枚目の写真)。
  
  
  

エリックは、「そんなの嘘だ!」と叫ぶが、院長は「嘘じゃない。叔父さんは、お前たちのためには、ここにいることが最良だと認めたんだ。信じられんのなら、リリアン先生に訊くがいい。電話を受けたのは先生だからな」(1枚目の写真)。信じていた先生に裏切られたと思ったエリックは、飛びかかろうとして院長とレッスンに取り押さえられ、暴れるので頭と足を持たれて地下室へと運び去られる。残されたのはエルマとリリアン。先生は、「叔父さんはとても動揺してらしたわ。あなたたちのことは好きだけど、面倒は見切れないと思われたの」「ここを出ても、誰も助けてくれる人はいないの」と慰めようとする。しかし、エルマは、「他の先生と同じじゃないか」「あんたに子供がいなくて正解だった。いたら、可哀想だ! 見捨てられるだろうから!」と怒鳴る。自分の「欲しくてもいない子供」のことを悪く言われ、思わずエルマの頬を叩く先生。エルマは叩かれた衝撃で、頬を押さえ、悲しそうな顔で先生を見つめる(2枚目の写真)。自分のしてしまったことに気付き、先生は「ごめんなさい」と何度も謝る。しかし、エルマは部屋から出て行ってしまう。リリアンは、グッビャの非人間的、非人道的な冷酷さにいたたまれなくなり、翌日、辞職して去って行った(3枚目の写真)。叔父からは見放され、母は死の瀬戸際、そしてエルマの「守護天使」はいなくなる。そんな中、2人は、これからも孤児院で生きて行かなくてはならない。
  
  
  

リリアンが去って1年半が過ぎた1969年7月20日。アポロ11号が月面に着陸した日だ。映画冒頭のケネディ発表がここで生きてくる。ラジオで、11号の予想着陸時間のニュースを聞きながら、新しい視学官を乗せた車が孤児院に向かって走っている。視学官がグッビャの資料を見ながら、「素晴らしいな。経理は完璧だし苦情はゼロだ」と言う。そして、助手に訊く。「彼は、何年 院長を?」。「ヘック氏は 1949年からです。1962年からは、校長会の会長です。もうすぐ騎士勲章を受けるはずです」。「立派だな。当然だろう」〔あんな最低の院長が受勲されるなんて、制度が正常に機能していない証しだ〕。旧弊な助手が「この訪問は歓迎されないでしょう。未通告ですから」と言うと、「もし報告書通りなら、ただの訪問で終わる」と答える。これまでの馴れ合いではなく、やっと正常な「監査」が実施されることになる。その頃、孤児院では、院長に届いた受勲通知を見て、ゴマすりの秘書とレッスンが褒め称えている。その時、異変が知らされる。視学官は、院長に会わず、いきなり視察を始めていたのだ。「47名の少年に、トイレ2つだけ、洗面台が8つで温水もないだと?」。対応したアクスル〔ずっと前に退院していた〕が、「そのことは、院長におっしゃって下さい」と責任回避。そこに、急を聞いた院長が駆けつける。「いったいどうなってる?」。「今日は、私はハートマン、新任の視学官、目下監査中です」。「連絡を受けていません。他の日にしていただきたい」。ハートマンも負けてはいない。「驚かれるのは分かりますが、視察は抜き打ちでするものですよ」。「しかし、連絡なして来られたのでは我々の最高の状態をご覧いただけませんよ。日を変えて下さい」。「グッビャでの最初の視察報告が、『監査を拒絶された』という文言にはしたくはないですな」(1枚目の写真)。ハートマン氏、なかなかやり手だ。院長も無理に笑顔を作って、折れる。「建物の視察からどうぞ、それから昼食を用意します」。しかし、この誘いもハートマンは受け付けない。「私は、まず、少年たちと話したいですな」。「子供たちと?」。「それが最も重要でしょ」。「まだシャワーを浴びていません。屋外作業の最中ですから」。「それでしたら、休憩がとれて喜ぶでしょう」。彼は、常に、院長の一歩先を行く。そして、少年たちが急きょ集められる。身なりは汚れたまま、傷も化粧で誤魔化していない。ハートマンは一番小さくて疲れているエルマに、「名前は?」と訊き、「大丈夫かね?」と尋ねる(2枚目の写真)。エルマは頷いただけ。トパーには、「このケガはどうしたのかね?」と訊く。レッスンが「ロフトから落ちたんです」と口を出すが、ハートマンは無視して、もう一度同じことを訊く。「先生が言った通りです」。ハートマンはレッスンに「炎症を起こしている。手当てが必要だ」と注意する。次に訊かれたのがエリック。「額の腫れはどうしたんだね?」。「落ちたんです。院長先生が助けてくれました」(3枚目の写真)「先生は僕たちのために、いろいろしてくれます」。こうした態度は、苛酷な環境にあっては致し方ないと思うが、見ていてエリックが好きになれない理由でもある。ハートマンは、お追従的な発言にムッとして、少年たち全員に話しかける。「私の仕事は、君たちが申し分なくしているか確かめることだ。何でもいい、内緒で相談したいことがある人は、手を挙げなさい」(4枚目の写真)「何か困ったことがあれば、どんなことでも話しなさい。必ず助けてあげよう」。しかし、誰も手を挙げようとはしない。少年たちにしてみれば、今まで、教師には騙され続けてきたので、「新顔の視学官も、どうせ騙すか口だけで何もしないさ」と思って当然だろう。それに、院長をはじめ全教師が見ている前で、手を挙げさせるという方法自体に無理がある。教会の懺悔室のように、1対1の隔離された環境なら、話したかもしれないが。
  
  
  
  

視学官は速やかに去り、少年たちがトイレ掃除をしている。「あと3週間で学校は休みになる。その時、僕たちは出院証がもらえるかもしれない。なのに、誰が告発する?」。トリューが、「何か言われたか?」とエリックに訊く。「見習い期間を終えたらコペンハーゲンに移れるんだろ。みんな兄弟を連れてくから、僕も院長にエルマを連れていけるよう、頼むつもりだ」と答える。トイレ掃除が終わると、レッスンは、トイレ係りの少年たちを集め、「院長はご機嫌だ。国王から手紙をいただいたからな。お前たちは、TVで月面着陸を見ていい」と話す。そして、最後に、院長の車を洗車する者を募る。エリックは、この際、エルマのことを頼もうと洗車を引き受ける(1枚目の写真)。「その時、僕たちは、今日が7月20日だと気付いた。エルマもすっかり忘れていたが、満足そうだった」。少年たち全員に教師も混じって、TV中継を見ている。有名な、「Houston, Tranquility Base here. The Eagle has landed」の言葉が聞こえる。一方、エリックは院長の車を念入りに洗っている。ピカピカになった車を見て、「エリック、よくやった」と褒める院長。「もう十分だ。TVを見てきなさい」。エリックは、ここぞとばかり、「先生、1つお願いがあるんですが…」と声をかける。上機嫌の院長は、「いいとも」と前向きだ。「僕、もうすぐ新しい所に移ります。弟も、一緒に連れて行けませんか?」。院長の返事は、全くの予想外だった。「お前はどこにも行かん。数日したら話すつもりだった」。「でも、僕15歳になりました」。「驚いただろ。いいか、誰にも話すなよ」(2枚目の写真)。院長は、まるで、エリックは特別扱いだと言わんばかりに続ける。「グッビャでの見習い期間を延長した。お前は、実によくやっている。だから、ここにいさせてやる。18歳までな。他にも数名、模範となる対象者を考慮中だ。お前にとって、素晴らしい機会だ。いいか、誰にも話すなよ」。院長は、エリックが喜ぶと信じきっている。何せ、特別な恩恵を施してやったのだから。しかし、グッビャを出たい一心で「いい子」に徹してきたエリックにとって、これは青天の霹靂だった。思わず、「できません」と直言する。「何が言いたい?」。「行かせて下さい」。院長は、エリックが戸惑っているのだと勘違いして、TVを見に行くように命じるが、エリックはついに本音をぶつける。「言われた通りに、やってきました」(3枚目の写真)。最後は、怒鳴る「何でもしたじゃないか!!」。そして、エリックは、院長の顔をまともに睨みながら、院長が大事にしている車の塗装に、錐のようなもので傷を付けていく。映画は、この後、行われたであろう激しいリンチについては一切見せない。
  
  
  

一方のTVを見ている少年たち(1枚目の写真)。アームストロング船長が月面に第一歩を記した時の「That's one small step for man, one giant leap for mankind」の言葉を聞き(2枚目の写真)、エルマは感動に震える(3枚目の写真)。一緒に喜びを分かち合おうにも兄がいない。きっと、まだ洗車中だと思い、エルマは「エリック、やったよ!」と叫びながら兄を迎えに走っていく。しかし、車のところには誰もいない。ただ、車の側面に飛び散った血を見て不安になる。場面は急に変わり、ベッドに昏睡状態で寝ているエリックが映し出される(4枚目の写真)。「奴らは、エリックを半殺しにした。3日経っても意識は戻らなかった。オスカーソンですら心配した。僕は出院証をもらえなかった。4年間待ち続けたのに、希望は砕かれた」。
  
  
  
  

エリックをお見舞いにきたエルマに対し、オスカーソンは、「院長先生は絶対安静を命じられた。だから、部屋には入れないの」と、ドアを半分開けてベッドに寝たきりの兄を見せる。「でも、直るんでしょ?」。「郵便を 配達してきなさい」。頷くエルマ。しかし、オスカーソンが去ると、エルマはこっそり病室に入り込む。そして、何も聞こえない兄に向かって、「宇宙服はきれいだった。だけどヘルメットは改善しなくちゃ。飛行士はほとんどロケットの中にいたんだ。月面に出た時は、感動しただろうな」と話して聞かせ、水の入ったコップを口につけて、「何か飲まなきゃ、死んじゃうよ」と飲ませようとする。反応は全くない。その時、廊下で音がしたので、エルマは慌てて隣のベッドの下に潜り込む。入って来たのは院長と専属医だった。「この子は、重態です。熱は下がらず、咳には血が。他にも外傷があるので、入院させるべきです」。「それは、あり得ん」。「飲むことさえできないんです」。「なら、無理にでも飲ませろ。何をしてる、早く始めるんだ。こいつは、一番強靭な奴だ。生き返らせろ!」(1枚目の写真)。「私にできることはありません」。「もし、こいつが… その時は、それが神のご意志なのだ。我々のせいではない」。あまりに非情な言葉に、胸がはりさけそうなエルマ(2枚目の写真)。その後、郵便ボーイとして、手紙を院長室に持っていった時、机の上に手紙を置いたままじっと立っていると、院長は「お前の兄のことで煩わせるな。仕事に戻れ」「兄も、お前みたいだったら、元気でいただろうに」と突き放すように言う。それに対し、エルマは意外なことを口にした。「外出を許可してもらえませんか?」。「外出だと? 行く当てなどないじゃないか」。「先生は、昔、僕はきっと郵便屋になるとおっしゃいました。僕、これを見たいんです」と言って、新聞の切抜きを見せる。それは、デンマーク郵便電報博物館で歴史展示が行われているという記事だった。院長は、「郵便配達は、職人とは言えんな。もっと有益な職業はいくらでもある」と言うが、オスカーソンを呼んで、「エルマに、コペンハーゲンまでの往復切符を渡してやりなさい」と命じる(3枚目の写真)。恐らく、兄に対してやった行為への反省か、エルマのけなげさにほだされたのだろう。「だが、就眠時間までには戻るんだぞ」。そして、ニヤリとすると、「宇宙飛行士よりはマシだな」と言い、ポケットから小銭を出して、「アイスクリームでも食べろ」と渡す。
  
  
  

エルマは、そのままの格好で、バスに乗る(1枚目の写真)。郵便ボーイとして、いつも郵便局まで行くのが役目なので、服装は他の少年よりはまともだ。だから、着替える必要はない。途中で鉄道に乗り換え、コペンハーゲン中央駅に着いたエルマは、最初に見つけた公衆電話から電話をかける(2枚目の写真)。電話をかけた先は、リリアンだった。幸い、元先生は自宅にいて、街で会うことができた(3枚目の写真)。
  
  
  

リリアンは、「今はもう、子供は教えていない… 教員養成所で教えているの」と現況を話した後、「どこに連れて行って欲しい?」と尋ねる。エルマから何が起きたかを聞いたリリアンは、児童保護局へと連れて行く。そして、視学官のハートマンに面会しようとする。しかし、ハートマンは監査に出かけて不在。待っているのは自由だと言われ、エルマと一緒に座って待つが現れる気配はない(1枚目の写真)。受付に言って、「もう何時間も待っています」と言っても、監査中の一点張り。「いつ戻るか分かりません」。「連絡を取って下さい。極めて重要なことなのです」。その結果、対応したのが、以前、ハートマンがグッビャを抜き打ち監査した時の旧弊な助手。リリアンは、「エルマのお兄さんが重い病気なの。何とかして欲しくて来たんですよ」。「レポートを作りましょう。来週、打ち合わせがあります」。「来週ですって?」。「グッビャは、重病人に対し適切に対応するはずです。批判されるべき点はありません。生徒や教師からの不満は聞いていません。それに、何の証拠もありません」。この旧弊な男は、ハートマンの言動を見ているはずなのに、何の啓蒙も受けていない。現に、生徒本人がわざわざコペンハーゲンまで出向いて強い不満を申し出ているのに、無視するのは許せない「事勿(なか)れ主義」の典型だ。リリアンは「証拠はありませんが、現にこの子が話しているでしょう」と反論するが、「すべてを信じることはできません。レポートとして提出します」と冷たい(2枚目の写真)。その上、「あなたは、グッビャの雇用者でもこの子の親族でもありません。あなたの行動は不適切です」とまで言う。「不適切? ハートマン視学官を6時間も待ってるのよ。電話ぐらいできたはずでしょう」。「これ以上言うことはありません」。このやり取りを聞いていたエルマは、絶望的になる。リリアンは、エルマを駅まで送っていく。そして別れ際に、「彼らが動かなかったら、私が明日もう一度行くわ。約束する。エルマ、あきらめちゃダメよ」と勇気付ける。しかし、エルマの心はもう決まっていた。「どうすればいいか、分かったんだ〔Jeg ved godt, hvad jeg skal gøre nu.〕)」と謎めいた言葉をリリアンに残して帰っていく(3枚目の写真)。これは、極めて重要な言葉だ。
  
  
  

コペンハーゲンから戻った夜。トリューが、「エルマ、どうだった? コペンハーゲンで何があった?」と訊いても、エルマは何も答えない。そこで、トリューは仲間の2人に、「僕たちだけでやろう。エリックを病院まで連れて行くんだ。先公はアクスルしかいない。残りの連中は、ロクでもないことで院長を祝ってやがる。彼を自転車に乗せて、病院まで運んで行けばいい」。「25キロもある。着く前に見つかっちゃうぞ」。それを聞いたエルマは、「外で会おう。アクスルは、僕が何とかする」と言って(1枚目の写真)、寝室から出て行く。そして、アクスルの部屋にこっそり入ると、部屋の鍵を手に入れる。そこにアクスルが入ってくる。「ここで、何してる?」。「他の先生たちが戻って来る前に、僕に会いたいかと思って」。「そうか。よく考えたな。だが、気付いとらんようだが、お前にはもう興味がない。お前は悲しげだし、もう大きくなって、体も汚い」(2枚目の写真、矢印は隠し持った鍵束)。「すぐ洗ってきます」。「そうか、ならいい。だが、急げよ」。エルマは部屋を出るなりドアを閉め、外から鍵をかける。これで、アクスルは閉じ込められて邪魔できなくなった。エルマは、エリックが昏睡状態のまま寝ているベッドに座り、手を取ると、「コペンハーゲンでは、うまくいかなかった。だけど、僕、信じさせる方法が分かったんだ。そうすれば、兄さんをここから出して、健康にしてあげられる。僕は、もう怖くなんかない」「兄さんが目覚めた時、僕がいなくても悲しまないで。僕は一足先に行ってるから。母さんみたいに〔Du skal ikke blive ked af det, hvis jeg ikke er der, når du vågner. Jeg er bare taget i forvejen. Ligesom mor.〕」(3・4枚目の写真)。これほど感動的な台詞には滅多にお目にかかれない。エルマは、自分が死ぬことで、兄を救おうとしたのだ。この捨て身の行為が、すべてを変える。
  
  
  
  

エルマは、アルミホイルを体に巻きつけて、ゴム手袋をはめ、頭に紙で作ったヘルメットを被る。そして、リリアン先生が残していった『2001年宇宙の旅』のレコードを最大音量でかける。宇宙飛行士としての死出の旅を、華やかに飾るファンファーレだ。そして、院長が大事にしている車まで行く。待っていた、トリューが「おい 何する気だ? バカなもの脱げよ」と言うが、エルマは大きなハンマーでヘッドライトを叩き割る。「院長を呼んできて」。「気が狂ったのか? 殺されちまうぞ」。「いいから呼んできて、今すぐ」(1枚目の写真)。一方、お祝いをしている連中にも、『ツァラトゥストラはかく語りき』が聞こえてくる(2枚目の写真)。何事が始まったかと、見に行く院長たち。エルマは、後ろのライトを全部割ると、次に、窓ガラスを割り、天井もボコボコにする(3枚目の写真、矢印の先がハンマー)。車は廃車同然だ。駆けつけた院長は、まず、「音楽を止めろ!」と命じ、エルマに向かって、「貴様、完全に狂ったな」と、襲いかかろうとするが、エルマがハンマーを振るうので近づけない。しかし、レッスンが後ろから羽交い絞めにし、ヘルメットをむしり取る。院長が殴ろうとした時、児童局から電話が入り、オスカーソンは電話に出るよう強く勧める。渋々院長が去った後、レッスンは鎖を手に巻きつけてエルマの顔を殴る。実に残酷で卑怯なやり方だ。恐らくエリックが脳震盪を起こしたのも、レッスンの「鎖」で殴られたためであろう。これはもう教師ではなく殺人犯だ。
  
  
  

院長に電話をかけてきたのは、日中、リリアンと対峙した能無し助手。「今日、そちらの少年の1人が苦情を言いに来ました。内反足の子で、そちらを退職した教師も一緒でした」とご注進(1枚目の写真)。容易ならぬ事態に院長も不安になる。一方、エルマは、何度もレッスンに殴られ、気絶寸前だ(2枚目の写真)。そこに、院長が「止めろ、バカモン」と言って戻って来る。そして、エルマをつまみ上げると、「お前が何を目論んでるか分かったぞ。視学官が来るまでに、その顔をきれいに治してやる。失敗だったな」(3枚目の写真)と言い、オスカーソンには、「あいつを中に連れて行って、傷口を縫って隠すんだ」と命じる。全員の目が離れた隙をついて、エルマは必死に起き上がると、走って逃げる。向かった先は給水塔。以前は足がすくんで登れなかったが、死ぬ気のエルマには恐怖感などない。どんどん登って行く(4枚目の写真、矢印)。
  
  
  
  

そこに到着したのが、ハートマンとリリアン(1枚目の写真)。院長は、リリアンに向かって、「あんたは部外者だ。車に戻ってとっとと消えろ」と暴言を吐くが、リリアンは「私たちは、エルマと話すまで帰りません」と宣言する。院長は、ハートマンに、「何を聞かれたか知りませんが、エルマならベッドで眠っていますよ」と平然と嘘をつく。その時、給水塔のてっぺんまで登り詰めたエルマに対し、追っていったレッスンが「エルマ、こっちへ来い!」と叫ぶ声が聞こえてくる。最高にバツの悪い瞬間だ。院長が、嘘付きで、隠蔽しか考えない人間だということが視学官に知られてしまった。ハートマンとリリアンは声のした方に走っていく。エルマは給水タンクのてっぺんに立っていた(2枚目の写真)。避雷針を握っただけの、極めて不安定な状態だ。エルマは、高く登った満月をじっと見ると(3枚目の写真)、宇宙飛行士として死のうと空に向かって飛び出す(4枚目の写真)。
  
  
  
  

エルマが満月に向かって飛んだ方向は、幸い草地ではなく樹木の方角だった。落下するとき、木の枝に何度もぶつかったことで、即死をまぬがれた。リリアンは、病院に搬送されたエルマが心配なので、一晩中病院で待ち、翌日になってもそのまま頑張った(1枚目の写真)。ようやく、医者が現れる。「上の子は、静脈栄養補給をしています。衰弱していますが持ち直すでしょう」。「ありがとう。で…」。「奇跡ですな。脳震盪と、鎖骨の骨折だけです」。泣いて喜ぶリリアン(2枚目の写真)。「病室へどうぞ。お母さんでしょう?」。「違います。2人の母親は、可哀想なことに…」。ここで医者が看護婦に呼ばれていなくなる。2人の母が危篤状態だったのが1年半前なので、当然、もう亡くなっているはずだが、この場面で、それがようやく確認できる。リリアンは病室に入って行くと、椅子を2つのベッドの間に置く。そして、しばらくして、両手を2人のベッドに置く(3枚目の写真)。子供のいないリリアンが、この2人を養子に迎えることを決意した瞬間… だと思う。
  
  
  

それから3週間後、エルマとエリックが、リリアンの車に乗って孤児院の前に着く。エルマが先に降りて(1枚目の写真)、エリックの顔を見るが、彼は首を振って降りようとしない(2枚目の写真)。エルマは、分かったと頷き、リリアンと一緒に中に入って行く。孤児院では、専属医が聴取されている。「少年たちがケガをした時、変だと思わなかったのかね?」。「私は医者にすぎません。命令に従っただけです」。院長は、ハートマンに向かって「私の部下を尋問するのは行き過ぎだ」と抗議している。反省の色は全くない。当然、警察が介入して、傷害罪で告発すべきだと思うのだが… そこに、エルマとリリアンが現れる(3枚目の写真)。
  
  
  

ハートマンは、「やあ、エルマ、用件は何だね?」と親しげに尋ねる。「証明の紙をもらおうと」。「証明の紙?」。エルマは、ハートマンに「出院証です」と答えると(1枚目の写真、エルマはハートマンを見、リリアンは院長を睨んで見ている)、次いで、院長を睨んで、「僕と兄さんの」と付け加える。そして、1人で院長に近寄って行き、見上げるように睨む(2枚目の写真)。ハートマンが見ているので、院長は仕方なく書類にサインするが、エルマが取ろうとしても、紙を握って放さない(3枚目の写真、8月14日と書いてある、これで入院期間が分かる)。院長は、「君のために良かれと思ってやったことだ。将来きっと感謝する。分かってくれるな?」と訊く。エルマは何も言わない。「分かったと言うんだ。重要なことだ」。リリアンがエルマの肩を抱き、「さあ、おウチに行きましょ」と声をかける。エルマは、結局、院長の呼びかけには何も答えず、出院証を奪い取って出て行った。
  
  
  

エルマは、顔見知りの少年たちに別れを告げる(1枚目の写真)。「これが、エルマを見た最後だった」。エルマは、トリューをじっと見て微笑むと、固く握手を交わす。「そして、その時初めて悟った。グッビャでは何も変えられないというのは僕の間違いだったと〔Og for første gang forstod jeg at der også ville være noget ved Gudbjerg, jeg ville savne.〕」。非常に強いメッセージだ。エルマが去った後、ハートマンが「内緒で相談したいことがある人は、いるかね?」と訊くと、「間違い」に気付いたトリューが、おずおずと手を挙げる(2枚目の写真)。それを見て、微笑むハートマン。それに勇気づけられて他の少年も、次々と手を挙げていく(3枚目の写真)。この映画で最も感動的なシーンだ。言葉を返せば、このシーンがなければ、映画は、ただの孤児院での虐待物語に終わってしまっていた。この改革への明るい希望の光が、この映画の陰惨さを吹く飛ばし、すがすがしい作品へと昇華させる。
  
  
  

車は、リリアンとエルマとエリックの3人で築く新しい「おウチ」に向かって孤児院を離れて行く。改革の喜びを知ったトリューが、3人の車を追って走る。そして、最後に手を振って別れを告げる。さよならと、感謝を込めて(1枚目の写真)。それに手を振るエルマの表情が実にいい(2枚目の写真)。久々に感動した映画だった。
  
  

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